愛猫はポチの気ままに徒然紀行

SNSで書いた事を備忘録的に残しています

お前、空気読めよ

近年KYだなんて言われる「空気を読め」と言う見えないプレッシャー。
空気だから見えないのは当たり前か?

健全なコミュニケーションを取るためには「空気を読む」事は重要だ。
重要だからこそみんな頑張って「空気を読む」。
それでも「お前、空気読めよ」「空気読めないヤツだな」なんて言われる事もあるだろう。

「お前、空気読めよ」「空気読めないヤツだな」と言う人の心理は2つあり、1つ目はその会話の中で全く関係ない話をしだしたり、人が話している最中に割り込んできたりする人に対してその忌まわしき会話の流れを指摘する場合。2つ目は自分の思い通りの行動をしてくれなかった人を悪者にするために使う場合。
「空気を読め」という言葉は実に便利な言葉で、「空気を読めよ」と指摘する事で相手の会話をストップさせ悪者にする事が出来る。自分の嫌いな「察しろ」という言葉と同じ意味合いの言葉とも言える。

 

もちろんコミュニティにおいて健全なコミュニケーションを執り行う上でも「空気を読む」事は大事だから、大抵の人は空気を読みながら話をしたりする。でも「空気の読めない奴」だと思われるのが嫌だから 「空気を読む」事だけに注力してしまうと、空気は読むけれど相手の心は読めていなかったりしてやはり「お前、空気読めよ」「空気の読めないヤツだな」なんて言われる事もある。

 

そうなると「空気を読むって何???もう僕には分からないよ!」って状態になって人とのコミュニケーション自体取りたくなくなりその場から逃げ出したくなる人も出てくるだろう。もはや「自分探し」ならぬ「空気探し」になってしまい自分すら探せていないのに空気なんて探せないよ!嘆くだろう。

 

健全なコミュニケーションのために「空気を読め」と相手に指摘する事は本当に健全なコミュニケーションになるのだろうか?
「お前、空気読めよ」「空気読めないヤツだな」と指摘するぐらいなら「今はそんな話をしていない」「この話について聞いているのだけど、どう思う?」と具体的に指摘した方が健全だと思うけれど。


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一般的に「空気読めよ」と言われる方が非常識な人間が多いと思われる傾向の反対側からのアプローチで書いてみました。

 

例えば何かの集まりで「被災地に千羽鶴贈ろうぜ!」と誰かが言い出し「千羽鶴は意味が無いから僕は辞めておくよ」と返したら「お前空気読めないヤツだな」と言われる事があります。


これって本当に空気が読めないの?という疑問からの上記のトピックスでした。