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愛猫はポチの気ままに徒然紀行

SNSで書いた事を備忘録的に残しています

誰かの意見を聞くには、自分の意見を話すしかない

自分はSNSで基本「おはようございます!今日もよろしくお願いします!」とは書かない。書いてる時は何か実験している時だと思って欲しい。
理由としては、自分はSNSを意見を不特定多数に発信するメディア、それに対する不特定多数からの意見を受信するメディア、不特定多数が発信している意見を閲覧するメディアとして使っているから。基本的に人の考えている事を知るのが楽しい。ニュースや映画などの考察とか聞くと面白くて仕方が無い。それが正しいかどうかは関係なくて、そういう考え方もあるんだとかそういう視点もあるんだとか楽しむのが好き。(良し悪しは別にして)ホリエモン爆笑問題太田の考え方も斬新で面白いから好き。逆に親しい相手や目上の相手には擦り寄る芸能界のご意見番とか言われる人の意見はつまらない。

時々意見が分かれそうな話題を持って来るのはいろんな人の意見を聞きたいから。当然意見の中には自分と同じ意見もいれば正反対な意見の人もいる。でもそれでいいと思うのだよね。自分の考えが正しいなんて思うのも傲慢だし、他の意見も聞いて微調整する事も大事だと思うから。だから反対意見に対して「それは間違っている!」「自分の意見の方が正しい!」なんて言わないし「あなたは間違っている!」と訴えてくる人をブロックしたりもしない。そして反対意見や反対の立場の人も友達申請やフォローをする。いろんな意見を聞きたいから。

 

「おはようございます!今日もよろしくお願いします!」と書くと皆さんから朝の挨拶をされるけれど、そこから何かの意見には発展しないのだよね。結局終始挨拶だけで終わってしまう。それが自分の中ではつまらなかったりして、承認欲求は満たされないのですよね。みんながどう思っているのかが知りたいけれど、挨拶ではその話には繋がらないから。

 

同じようにネットの記事をシェアだけしている人も自分の中では意見に繋がらないのでつまらなかったりする(やってる人ごめんなさい)。「この人はこの記事に対してどう思ったのか?」「記事に対して賛成なのか反対なのか?」「自分だったらどうしたいのか?」を自分は知りたい。

 

そしてみんなの意見を聞くためには自分が意見を述べないと始まらない。
それが頓珍漢な意見であろうと、批判される意見であろうと、自分なりに考えて自分が出した答えを述べないと何も始まらない。


ジュリアス・シーザーユリウス・カエサルの言葉で「人間は自分が信じたいことを喜んで信じるものだ」というものがある。心理学で言う確証バイアスと呼ばれるもので大半の人間に共通する心理。でも信じたいことを喜んで信じているだけでは新しい事実は見えて来ないのだよね。単に騙されているだけかもしれない。利用されているだけかもしれない。だから自分の意見を作り上げるために信じたいこと以外の情報を得るアンテナを自ら伸ばさないといけない。