愛猫はポチの気ままに徒然紀行

SNSで書いた事を備忘録的に残しています

今さらながら酒鬼薔薇聖斗の「絶歌」に思うこと

酒鬼薔薇聖斗の手記「絶歌」が発売されて1年以上が経過した。
自分は「絶歌」を買ってもいないし読んでもいない。正確にはあとがきだけネットの記事で読んだ。
みんな話題にしなくなったので思った事を徒然と。

 

あとがき冒頭に「どのようなご批判も、甘んじて受ける覚悟です」と書かれている。
少年法に守られて、顔も名前も住所も隠された何があっても矢面に出る事の無い人間が「どのようなご批判も、甘んじて受ける覚悟」が出来るのであろうか?というのが最初の疑問。どんなに世間が騒ごうと自分は守られているという自覚を持って書いていると推察する。

 

この本を書いた理由は「人並みに社会の矛盾にもぶつかり、理不尽な目にも遭い、悔しい思いもし、そのたびに打ちひしがれ、落ち込み、何もかもが嫌になってしまったこともありました」「僕には、罪を背負いながら、毎日人と顔を合わせ、関わりを持ち、それでもちゃんと自分を見失うことがなく、心のバランスを保ち、社会の中で人並みに生活していくことができませんでした」から。だから「もうこの本を書く以外に、この社会の中で、罪を背負って生きられる居場所を、僕はとうとう見つけることができませんでした」と言う。少年Aは社会人であればごく普通に体験しているであろう社会の荒波の中で人並みに生活していくことが出来なかった。だからこの本を書くのだと言う。

言い換えれば「面倒くさい人間関係が嫌で働きたくないから本を売って印税で生活がしたい」と自分本位な事を言っている。
また、あとがきには「本を書けば、皆様をさらに傷つけ苦しめることになってしまう。それをわかっていながら、どうしても、どうしても書かずにいられませんでした」 「「辛い」、「苦しい」と口にすることは、僕には許されないと思います。でもぼくはそれに耐えられなくなってしまいました。自分の言葉で、自分の想いを語りたい」と書かれており、自分はこの言葉が非常に引っ掛かって仕方が無い。

 

「本を書けば、皆様をさらに傷つけ苦しめることになってしまう。それをわかっていながら、どうしても、どうしても書かずにいられませんでした」。
僕はみんなを傷つけ苦しめてでも自己欲求を満たしたかったと言っている。

 

「「辛い」、「苦しい」と口にすることは、僕には許されないと思います。でもぼくはそれに耐えられなくなってしまいました。自分の言葉で、自分の想いを語りたい」
周りは僕の事を許さないだろうけど、僕は自分のやりたい事を我慢する事が出来ないと言っている。

 

つまり、あまりにも自分本位で自分の欲求を満たすためであれば他人を傷つけても構わないと思っている。自分の自己顕示欲を満たすためであればどんな事でもする。これは19年前の神戸連続児童殺傷事件の時と何ら変わらない精神状態だと強く感じている。
関東地方更生保護委員会は当時「再犯の可能性はないと判断した。保護観察に付することが改善更生と円滑な社会復帰のために相当と認めた」と説明しているが彼の本質は変わっていない。もちろん19年間何も起こしていないのであれば更生は成功していると言えるが、願わくばこのまま何も起こすこと無く自己欲求と自己顕示欲を我慢して他人を傷つけたりしない人生を送って貰いたいと切に思う。