愛猫はポチの気ままに徒然紀行

SNSで書いた事を備忘録的に残しています

自分、自分、自分、自分。

自分が思う自分と他人が思う自分は必ずしも一致するわけでも無く、他人は他人を誤解しながら生きていて、自分は「みんな本当の自分を分かっていない」と不満を思いながら生きていたりする。


それを他人に「みんな自分を誤解している。自分はもっとこういう人間だ」と大声を張り上げても他人は他人なりにその人の行動や言動から人間性を図りその人の印象を決めている。その大声も人間性を決める事象でしかなく当人の叫び声をそのまま受け取ってくれるわけじゃない。


そもそも自分が思う自分というもの自体が本当に自分とイコールの評価なのかどうかも疑わしく、本当の自分ではなく理想の自分である事が多い。そうなると本当の自分と理想の自分と他人が思う自分という3つの自分が一緒になる事なんて不可能に等しく、自分が思う自分は自分の中では正しい自分で、他人が思う他人も他人の中では正しい自分。理想の自分は理想でしかない。


じゃあ結局「自分」って何なの?という話になり、自分が分からなくなるから人々は「自分探し」なんて終わりなき旅をするのかもしれないけれど、「自分の事は自分にしか分からない」なんて言葉があるように、自分は自分が思う自分が正しい自分なのかもしれないね。