愛猫はポチの気ままに徒然紀行

SNSで書いた事を備忘録的に残しています

僕は誰かの役に立っていますか?

「僕は誰かの役に立っていますか?」と言う質問は答えやすく答え難い質問で、そう聞かれたら条件反射的に「もちろん役に立っているよ」と答えてしまう。それは役に立っているかどうかの答えではなく相手を傷付けないようにする為の答えだ。

仮に自分にとって役に立っていないと思ったとしても自分以外の誰かの役に立っている場合もあれば、自分は役に立っていると思っていたとしても自分以外の人はみんな役に立っていないと思っているかもしれない。

ただ、いろんな人の中で誰か一人「役に立っている」と答える人さえ居ればその質問を満たす答えにはなるのだが、こう言う言い方は厳しいかもしれないけれど人間は常に「この行動やこの仕事は誰かの役に立っているだろう」と自分で自分を信じながら生きて行くしかない訳で、誰かに確認しないと満たされない人生は何処を向いているのだろう?と思ったりする。
人生とは自分を信じて突き進むものでなないのかな?
それが茨の道だろうと。